沖野俊太郎自ら、先日発売になったリミックス・アルバム『Too Far』(F-A-R Remixes)に参加していただいたリミキサーの方々にインタビューしてみようじゃないの? 沖野にしか聞けない事もあるんじゃないの? と云う企画の第一弾。
小川今回のリミックスの話に戻るけど、当時渋谷のネストとウエスト、2フロアぶち抜きでやってたイベントでKUDOさんがオキシュンと俺の目の前でDoorsの「Riders On The Storm」かけたのよ!その意外性たるやココでこんなものがかかる、しかもこんな最高なのが!?って二人で立ち上がったんだよね。ウオー!ってなって。それが残像に残ってる。でもう俺は「Riders On The Storm = オキシュン」みたいな。今回その感じも入ってる。アレだ、ってのはあったね。とにかく。
沖野ははは。(笑)あったあった。曲的にもちょっとメロとかドアーズだもんね。
与田そのイベント、オーガナイザー俺だからね。on air westとnest両方使ってね、そこに1000人来ちゃったんだよ。あんときめちゃ儲かったよ。
小川あ、そう。
沖野あん時の非常階段の感じ覚えてるよ、nestからwestへの。
与田そうそう、あの時の「Riders On The Storm」は語りぐさになってるんだよ・・みんな言ってたもん。ほんとKUDOさんすげーって。
INDIANSUMMER 島村パーティーの立ち上げ時代ですよね?
小川まぁまだ手探りだし、選ばれた奴らが来てるって感じだった。情報はないけどネットもないから。でもすげー特別なことが何回も起こってたんだよね。すごい現象じゃなかった?俺もう革命が起こったって思ってたもんね。
与田俺も。
小川これで世の中変わるんだって。 それって”Second Summer Of Love”の話でしょ?意識としては。
沖野いやーそうね。やっぱその当時のトランスの影響は大きいんだよね。そこはホント否定しない。結局いまだにフォーマットは違うけどトランスしていく曲が好きだし、ワンコードで。まぁ凝ったコードも好きなんだけど。
小川ディミニッシュ絶対入れるもんね。
沖野シュガープラントはワンコード系やらないのが不思議なんだけど。
小川できないよ、結構ワンコードは。今回作業してて思ったけどやっぱ歌が良いよね。こんなこと言っちゃアレだけど。普通あの曲だと流すと思う。流すっていうかリズムが要求してないでしょ?リズムが要求してないとこでもグルーヴしてるんだよ、歌が。だから俺が後からリズム入れても元からそうだったかのように歌ってる感じになって。アレ結構無いと思った。あとファイルがすごい綺麗。
沖野(笑)
小川ファイルが綺麗。まじで。(笑)改めてちゃんとしてるんだなぁ、って。
沖野ちゃんとしたスタジオで録ったしね。
小川普通はあまり他の曲にならないと思うんですよ。だからちゃんとしてんだなぁって。オキシュンは良い曲も書くしちゃんとしてるな、って。(笑)
与田音楽としてね。
小川何が来ても乗るんだよ、歌が。
与田それはよく分かる。
小川オキシュンって世間的には「酔いどれボーカリスト」みたいな感じでやってるけど(笑)デモも完成形に近いし、超緻密にやってるから。じゃなきゃ今回の『Too Far』も成り立たなかったというか。いろんな人がいろんな料理してもちゃんとなってんだもん。
沖野料理ってのはわかる。だから今回はいろんな料理の名シェフたちに料理してもらった って感じなんだよね。
小川やっぱ根幹がしっかりしてるから。リミックスって普通「ジャジャッ♪ジャジャジャジャッ♪」みたいになるでしょ?
一同(笑)
沖野クラブ・ミックスね。いわゆる。
小川そんなことをやる気にはならないんですよ。再構築してやろうみたいにはなれなくて。歌はノー編集でいけるから。それはなかなか無いよ。
与田そこは残すことで違う側面を見せたい ってのはあったと思うよ。
沖野それはあるかも。だからみんな別アレンジしてくれたっていう感じ、リミックスというよりは。
小川みんなあんなにいろんなことやっても歌が食いついてくるってのがすごいなって。改めて。そういうことあんまり世間的に知られてないなって。「酔いどれボーカリスト」って思われてそうで。
沖野あんまり誰も使ってくんないもんね。ボーカリストとしては。
小川今回のIndian Rope Remix(The Light)もすごい良い。
沖野あれあんまり褒められないんだよね。個人的には気に入ってるんだけど。
小川いや俺は褒めるよ。あれは良いねぇ。
沖野あれindian ropeだよね。
沖野ふたりさぁ、今生きてきて自分の立ち位置ってどう思ってる?DJなり、ミュージシャンなり。実際、いわゆる生業にはなってないじゃん?でも25年とかやってて。たとえば与田さんて何がしたいの?裏方と表両方やるじゃん?あなたが本当にしたいのは何?
与田俺は音楽作る現場に居たいってことだと思うんだけど。表はオマケだよね、基本的に音楽が好きなだけでリスナーっていうか、一番初めのリスナーでありたい。それはVenus Peterのマネージャーやってたころから変わらないし。自分の好きなものを世に問いたいわけ。俺の感覚としてはDJって他人の曲をかけるものだと思ってるし、レーベルの制作だって自分の曲じゃない。俺はミュージシャンじゃないから。聴き手として一番初めに聴きたいものに関わりたいし、世に出す道筋をつけられるならね。
沖野でどこで一番喜びを感じられるの?例えば最近だとNot Wonkがウケてる、そういうふうに自分が良いと思うものをリリースしてそれがウケた時?
与田たぶん今までの累計で言うと自分が関わったアルバムって300枚位あると思うのね。でも一番嬉しいのは自分が聴いてて「やっぱこれ好きだわ」って思えるものを出せた時。
沖野それがウケなくても?
与田出来上がった瞬間にコレすごいって思えたらやっぱ良いから。関わった中で一番売れたのってGoing Steadyの2ndで5、60万売れたし、出来た瞬間もコレすごいなって思った。でもそれよりも俺にとっては『Love Marine』(Venus Peter 1st)の方が俺の人生にとっては大きい。あと「Happy」(Sugar Plant / Pino e.p)かな。この2枚の意味は俺にとって本当にデカイ。
沖野じゃあもうそこで達成感はある?
与田結果を求めてやってるわけじゃないから。自分で一番ラッキーだと思うのは、自分がやりたいと思ってることがまだやれてることなんだよね。まぁ大した結果もないけど、アルバム出そうよ ってバンドに言えたりするのはありがたいことだなぁって。
沖野やっぱでも売れたほうがもっと嬉しいよね。
与田もちろん売れたほうが良いよー。ほんとにそう思うけどでも・・91年のゴールデンウイークに『Love Marine』のレコーディングやっててさぁ出来上がった瞬間にこう、自分が本当に好きになれる音楽を作れるって思ってなかったっていうかさぁ、その前の2年間UKPで自分の趣味とは違う音楽のディレクターやってたからもう辞めようかと迷ってた時、会社に「好きにやらせてください」って言ったら「じゃあバンド探してこい」って。そこで出会ったのがVenus Peterだからさぁ。そこは今も変わってないよ。音楽が生まれる現場に居たいし、俺にしか見つけられない何かがあるとは思ってるんだけどね。
沖野もちろん。
与田それが今もやれてるのはラッキーとしか言いようが無い。で最近だとペニーアーケードの再発とかさぁ、枚数的にはそうでもないんだけど響いてる感じはある。本当に好きなものが自分が望んだレベルには売れてはいないからその辺のバランスはまだ難しいよね。
沖野小川くんて売れることってどう思ってるのかな?あんまりそこ話したことないけど。葛藤の仕方が俺とは違うっていうか。小川くんて今の若い世代のバンドの走りなタイプって気がすごいする、昔から割と音楽で夢は見てない感じ。
小川ガツガツとはね。
沖野でも新譜出すときとかって「俺の信じてるものはこれだ!」って提示することじゃない?それがあんまりこう・・あれれっ?ってのの繰り返ししだからさぁ、例えば俺なんて。
小川オキシュンはなんか結構もう芸能界とも戦ってた感じがあるんだけど、それはなかったの俺ん中では。だけどYo La Tengoよりは良いもの作ってやろう とかそういう戦いは常にあったわけよ。90年代って売れると「hey! hey! hey!」に出るとかってあったけどそれは望んでなかったし、ダウンタウンは好きだけど。
沖野それは俺も同じだよ。
小川いやでも売れるってことはインディーだろうと芸能界と地続きというかね。例えばあの頃売れてたインディーバンド、すげえな、売れてんなって思ってたけど今誰も聴いてないじゃん?だけど今でも俺の曲を聴いてくれてる人は結構いる。それは俺が本気で作ったものだから。今でも良いと思うし、残るって感じがすごく大事ですね。しかもその人の中で大事なものとして残ってる。あんとき流行ったよねー、じゃなくて。
沖野いま聴いても恥ずかしいって自分で思わなきゃいいよね。一番嘘つけないのって自分だもんね。
小川だから割と悔いはないというか。でも今後はもっと良い曲作ったらどうにかなっちゃうかもよとも思ってるけど。(笑)
沖野でも良い曲ってのが人それぞれだからねぇ・・
与田そこは人に答えを求めるとこじゃないよ、多分。
沖野結局基準は自分だよね。自己満足とかって批判されたりってあるけど全然良いと思うよ。分かりやすく言うと例えば100万枚、流れで売れたとしてもその曲を自分が納得してなかったら結局どこかで「恥ずかしいー」って思いがずっとあると思う。そこは嘘つけないもん。
小川そう、そこが大事だからあとは自分にとって良い曲つくるだけでしょ?誰かの胸に刺さるって最高だなって思うわけ。どうしたら刺さるかって、やっぱホントのことじゃない?
沖野うーん、でも我々からすればしょうもないJ-popでも刺さってる人たちは多くいるし。聴いてる絶対数が多いからさぁ。だから自分の曲ももっと多くの人に聴いてもらいたいっていう悔しさはあるよね。そんだけ増えるんだから。30人の前でライブやるよりはやっぱ3万人の前で演る方が共感してくれる人は増えるわけで。
小川実際はね。だけど忘れやすい。3万人だと。
沖野(笑)でもそういうチャンスはホントはあって欲しいよね。ちっちゃいとこで満足って・・やっぱ悔しいってのはある。
小川でも、例えば”Life Force”とか野外で5人とかしか踊ってない時あんのよ。だけどその5人のパワーって!すごかったりとか。1万人のフェスよりも5人が踊ってたフロアの密度、ここに何かある!っていうようなのがロックでしょ!
一同(笑)
与田俺が「のうてんき」でやりたかったのそれだから。
小川その5人が体験したかけがえのない瞬間みたいなものが薄まった1万人よりもすごい!っていうことを信じるって事だよねー。
一同(笑)
沖野まぁ、あと大事なのはやっぱ続けるって事だよね。でもやっぱその”Life Force”で5人じゃなく100人いたらもっとすごかったかも。数ってつくづく残酷だと思ってるんだよね、数って。SNSの時代になってよく思うんだけど。だからもっと数を増やすにはどうしたら良いかって考えるけどね。
与田それは俺もめちゃ考える。でもたどり着いた一つの結論はやっぱり日本のオーディエンスは音楽そんなに好きじゃないってこと。でもその音楽を好きじゃない奴らを相手にこんなに音楽好きな俺たちが戦わなきゃいけない戦いをやってるんだなって思うしかない。
沖野戦ってる感はずっとあるよね。
小川2、30年したらどうなってるかわかんないけどね。
沖野それって俺たちもうおじいちゃんじゃない!
小川掘られりゃいいんだよ、掘られてコレつまんないね、って言われたら負けだよね。
一同(笑)
小川あとはもうコレ作って死んでもいいみたいなやつで勝負したいから。なんか今の日本てみんな楽しいの?って思うのね。だから自分が音楽で表現してるような世界観を共有してくれてらいいなぁって。
沖野具体的に何を表現したいの?
小川いやぁむずかしいね。
沖野与田さんは?
与田俺はすごくはっきりしてる、「お前はお前のダンスを踊れ」ってこと。
沖野あ、これ聞きたかったんだ、実は俺ってクラブカルチャーをそんなに肯定してるわけじゃないの。
小川あんだけ踊りに行ってて??(笑)
沖野いやそうなんだけど、やっぱ俺バンドマンだから・・なんか今って下手したらバンドよりDJの方がかっこいいみたいのあるじゃん?
与田そんなことないと思うけど。
沖野俺ってロックバンドってものが世の中で1番かっこいいって思ってるの。で、俺もう夢なんかないんだけどやっぱ世界中をツアーしたいとか、いまだ経験ないし。シュガプラはアメリカツアーやってるもんね。夢といえばそれくらいなんだよね。で、ロックバンドがこの世で最高の職業だと思ってるからどっかでDJなんて・・・って思ってるというか、思いたいわけ。もちろんDJがものすごい瞬間も知ってるんだけど・・。
小川オキシュンのそのロックバンドスタイルが好きってのはよくわかるよ。オキシュンなんだよね。
与田うん、わかるよ。でもすごくわかりやすいのはStone Rosesのジョンスクワイアが言った「主役はオーディエンスだ」聴き手が主体でいい。そこなんだよね。俺は自分が踊りたい曲をかけてくれないDJだったらそこに居たくないし。でDJカルチャーって”Second Summer Of Love”から始まってるわけじゃん?だからそう思うんだけど。まぁ最高のロックバンドが俺にとって最高の音楽やってくれたら一番良いし、だけどそんなことはなかなか起きなかった。むしろ俺が本当にすごいと思ったのはやっぱDJだった。
沖野うーん。
与田2012年のフジロックのStone Roses は本当凄かったけどね。あれはお客さんのためにやってる。
沖野俺は全然ダメだった・・。
小川(笑)そういうの多いよね、オキシュンだけダメみたいの。
沖野(笑)
与田Stone Rosesの1番良いところはイアン・ブラウンが歌下手でも良いのよ、お客さんが歌うためにやってるから。全員オーディエンスが歌ってるからね。で俺がクラブカルチャーというかダンスカルチャーの良いとこはオーディエンスが自分で価値を判断すれば良いってところ。
沖野でもオーディエンスって・・何ていうのかなぁ、いい加減じゃん?その時の気分でみんな変わるから付き合いきれないとこあんのよ・・。
小川(笑)
与田俺はステージに上がるわけじゃないからオーディエンスの一人として俺が主導権を持ってる って思いたいわけ。
沖野与田さんはあの4人がステージに立ってるだけで良いってのもあるよ、絶対。
与田もちろんそれはあるよ、Stone Rosesはね。ただそうじゃないのもいっぱいあるからね。マンデーズもマイブラも良かったとき悪かったときあるからね。
沖野それはそのときの与田さんの体調や心理状態に左右されてるのもあるでしょ?
与田いや自分の中では判断に関しては揺るぎないものがあるって思ってる。
沖野小川くんはここ10数年、ライブで感動したものってある?ライブで。
小川うーん、ないかも。Lou Reedはちょっと感動したけどね。
与田俺は途中で帰ったけどね。フジのね。
小川俺あんまりミュージシャンが死んでもR.I.Pとか書けないんだけど・・
沖野David Bowieは?
小川あ、David Bowieだけはすごいショックだった・・・。
沖野意外意外。
小川David Bowieはそんなに好きじゃないのに、最後にあのアルバムを出してっていう全体のパッケージでみたらあららら、スッゲーことだなって思ったけど。で、Lou Reedは最新作良かったわけじゃないんだけどフジのLou Reedは「あ、ルー・リード、ルー・リードがいる!」っていう自分に出会ったていうか。懐古主義的に再結成とか見にいく趣味はないんだけど・・だってもう良いアルバムがあるから。俺、人にはついていかないのよ、どっちかというと。でもDavid Bowieは全体のアートとしての完成度?それが死んだことで見えてきて、これはすごいって。ちょっと悲しくなった。
与田俺はLou Reedは『New York』のツアーの時も見に行ってるし思い入れがあるからすごいショックだったけど、フジの時は帰った、アタマ3曲でね。
沖野それはなんで?
与田絶対みんなが聴きたい曲をやらないって思ったから。
小川俺はLou Reedを見た!!って感動してる自分を発見したよ、まぁヴェルヴェッツ(Velvet Under Ground)が一番好きだからね。でもそのLou Reedと距離があったわけ。でもLou Reed頑張ってるしなんか泣けてきて。割とお客さん出て行っちゃう中、俺は前の方でイエー!とかなって泣いてるの。(笑)
沖野そういうパターンもあるよ、確かに。
小川それくらいかな、基本的に作品至上主義なんですよ。
与田俺も基本そうなんだけどLou ReedやDavid Bowieが自分の中で相当デカかったから。
沖野自分はDavid Bowieの方がショックだった。実はものすごいコードとか作曲面で影響受けてるからね。
与田俺は70年代のLou Reedにハマりすぎてて、青春時代の思い出がありすぎてね。
沖野でも下手したら小田和正が死んだほうがショックなんじゃない?
― ここからまた与田&小川による如何にオフコースが素晴らしいか? VS 沖野、オフコース絶対認めないが延々続く。
― からのイーグルス、「Hotel Carifornia」談義(論争?)に。2人はこの曲の強度や重要性を激しく訴えるも沖野、まったく賛同せず。
沖野とにかく自分にとってホテル・カリフォルニアは特に重要な曲ではないの!!(笑)では最後に、誰かになりたいとかってあったりする?
小川特にないなぁ。ちょっと前はジョン・ルーリー(Lounge Lizards / sax奏者)だったけど。ラウンジ・リザーズとか大好きで。あんくらいの感じかっこいいなって。おしゃれ感も。
与田俺は強いて言えばオークンフォールド(ポール)になりたかったね。音楽をああいう風に好きでああいうカタチで関われたら最高だと思う。マンデーズのプロデューサーで最高のリミックスをガンガン作って、DJカルチャーをポップ・ミュージックのトップまで引っ張り上げて踊らせることが大好きで。
沖野彼がやったこと?
与田そう、ああいうことがやりたい。
小川与田さんは状況も含みなんだよね。俺はとにかく良い曲が作りたいね。
沖野でもまた言うけど良い曲って人によるからねぇ。
与田いや、本当に良い曲はそれを飛び越えていくから。
小川だから「ホテル・カリフォルニア」みたいなことなんだけどね。
一同(笑)
〈注釈〉
*ココロコ(COCOROCO)
新宿歌舞伎町、コマ劇場のななめ向かいにあった居酒屋。1996年にこの店でイクイノックス主催のレイヴ・パーティーがあった。
*イクイノックス
90年代前半の日本のレイヴ・シーンの黎明期から2000年代前半まで活動していたパーティー・オーガナイズ・チーム。Juno ReactorやT.I.Pなどヨーロッパのトランス・アーティストやレーベルを日本に紹介。数多くの伝説のパーティーをオーガナイズした。
*ゼノン(Xenon)
新宿コマ劇場の並びにあったディスコ、99年には名前をCODEと変えてクラブとなった。
*コックスボックス(Koxbox)
デンマーク出身のトランス・ユニット、独特なグルーヴとサイケデリックなサウンドで90年代後半のトランス・シーンの中核となった。
*Speakeasy
六本木にあったクラブ、もともとは結婚式場で90年代後半から週末ごとにクラブ営業を行こなっておりアンダーグラウンドなテクノやトランスのパーティーが開催されていた。
*Life Force
90年代後半から毎回ロケーションを変えながら行われていたウエアハウス・パーティー。サウンドはディープ・ハウスを中心にJAZZやディスコまで幅広く現在も活動中。
*アシュラ (Ashra, Ash Ra Tempel)
ドイツ出身のギタリスト、マニュエル・ゲッチングを中心としたクラウト・ロックの代表的なバンド、代表作は『NEW AGE OF EARTH』。
*パット・メセニー (Pat Metheny)
アメリカ出身のジャズ、フュージョンの世界的な実力派ギタリスト、名作多数。
*Wonder Release Night
1994年から1997年まで下北沢QUEで開催されていたWonder Release Records主催のDJイベント。
*ハルシノゲン (Hallucinogen)のLSD
1995年発表のUKのトランス・プロデューサーであるサイモン・ポスフォードのユニット、ハルシノゲンの代表曲。
ユース (Youth)のレーベル、ドラゴン・フライからリリースされ世界的なアンダーグランド・ヒットとなった。
*Spirea X
ボビーギレスピーとPrimal Screamを結成したジム・ビーティーが脱退後に始めたバンド。 デビューEP 『Chlorine Dream』はVenus Peter 「Fall」の元ネタ。