沖野俊太郎自ら、先日発売になったリミックス・アルバム『Too Far』(F-A-R Remixes)に参加していただいたリミキサーの方々にインタビューしてみようじゃないの? 沖野にしか聞けない事もあるんじゃないの? と云う企画の第一弾。
沖野そろそろ本題に戻りましょう。(笑)
小川ちゃんと話する気あるからね。俺。(笑)
与田シュガープラントとしての発言がちゃんとどっかに載るってのは珍しいしね。
沖野すごい良いよね!
小川いやぁあんなに褒められて久々にこうなんか、
沖野そりゃちゃんとしかるべきもの作ってくれたから。
小川ちゃんとはやりますよ!でもそれってなかなか届かないものだっていう・・感じがあったから。今になってこんなこと言ってくれる人いるんだっていう。
沖野いるよー。
小川だってやってること変わんないんだよ。
沖野うん。でもやっぱマッチングも良かったんだよね。すごく。
小川俺、河口湖で再会して、ツィッターとかも見てるから(笑)オキシュンの内面の変化じゃないけど、ポジティヴパワーって一言で言いたくないんだけど、開かれた感じがアルバムにも出てて。アルバムすごく良いし、そういう流れがすごい嬉しくて。
沖野でも俺、前から閉じてる人間ではないよね?
小川それはよく知ってるんだけど、くだらない話ばっかりとかやってたけど・・
沖野まぁ快楽主義者だよね。この辺みんなだけど。
小川なんかこう受け入れたのかなって、状況を。オキシュンは変わってないけど・・文句言うとかって事じゃなくてね っていう感じ?
沖野(笑)わかるわかる。
小川河口湖久々でライブがホント良かったの。だから・・湧き出るパワー? オキシュンなんか覚悟決めてるなと。もちろん曲も良いしさ。ほんとにそれは思ったから。すごい嬉しくて。先輩たち、壮太(高木)もそうだけど嫉妬とか無く、喜べるのよ、なんか。
沖野わかるよそりゃ、みんなそう。
小川でアルバムがほんと良かったと思って。曲がいいっすね。あれは一気に作れないよね。いろんなところの局面で良いものが寄り集まってるから。
沖野うん。まぁ今回もほんとに良かったね。いろんな人に声かけて。
小川すごい嬉しかった。
沖野アキヲくんとかも10何年ぶりなんだってね、リミックスやったの。
与田・小川そっかそっか。
小川「この夜にさよなら」が好きだね。
沖野ふふふー(笑)
小川「Star Parade」(Venus Peter)も好きだけど。
沖野「Star Parade」、ある意味俺の最高傑作。
小川でしょ?(笑)俺は「Star Parade」ホントすごいと思って。カヴァーしてやろうかなって。最高っすよ。すげー曲書くなって。
与田小川くんが好きなタッチだよね。
小川「この夜」もかなり同じですよ。
沖野うーん、やっぱ「Star Parade」かなぁ。あの切なさはもう出せない。与田さんてヴィナペで一番好きな曲ってなに? へへ(笑)
与田うーん、好きなのがありすぎてアレだけど、一曲にしろって言われたら・・うーん「Painted Ocean」かなぁ、いや「Fall」かなぁ。
小川「Fall」ね。いいっすね。俺も買ってたんだからね!俺、当時見に行ってんだから。Fall.ep買いましたよ。
沖野でも「Fall」は古閑くんの曲だよ。
与田もちろん知ってるよ。(笑)でも作曲じゃなくてコード進行だけじゃん?さらにパクりだし。*Spirea Xの。
沖野そうそうそう(笑)でもあれが出来た時のこと覚えてるー、あんなメロじゃなかったんだよ、元は。化学反応というか そんなのがあったんだよね。メロディーが天から降って来た感じ?
小川あの雰囲気、普通は出ないんだよ。
与田出ない出ない。時代が・・・
沖野やっぱほんとに時代が産み落とすってあるよね、「Every Planets Son」とかはやっぱあったよ。
小川あれはどうやってできたの?ファッション通信?
沖野あれは後付けだから。なんでできたんだろ?
与田『Space Driver』(Venus Peter 2nd)はすごいタイミングでちゃんとしたレコーディングできて、捨て曲一切なしの良いアルバムじゃん? バンドを取り巻く空気もライブとの関係性も良かったし。良いバランスでできたんだよね。
沖野でも俺がちょうど何ヶ月か入院しちゃったりしてさ・・。あれ仁さん(吉田仁・プロデューサー/salon music)が言うにはアレがなかったら
ヴィナペはもっといってたって。あの時期の半年は相当デカイって。
与田俺はアレがあって『Space Driver』が出来たことは結果的に良かったと思ってる。でも俺にとって一番壁になったのは『Space Driver』がほんとに世間的には認められなかったことに自分も若かったし、傷ついた感じはあるよね。だってこんなに良いもの作ってこれがダメじゃ何だっつうんだよ!?って感じになるじゃん?
沖野評論家にも未だに全然評価されてないしね。日本は評論家の能力が低い。
与田でも俺はスタッフとしてそれをひっくり返してやるんだっていう勢いで、こんなものが出来たっていう気持ちがあったから。でもそれがそんなに響いてないんだ ってわかった瞬間から少し心が折れた・・。
沖野うん。
小川しょうがないよ。
与田もちろん今ではしょうがないって思ってるよ。でも当時はまだ23、4歳だよ。
小川っていうかふたりとも若かったよね、ヴィーナスペーターってあるほんの一時期じゃない?
沖野3年?
与田ほんとに良かったのって2年位だし。
沖野シュガプラの『Hiding Place』っていつだっけ?
与田93年。95年に『Cage Of The Sun』、96年に『After After Hours』。
沖野そういえばシュガプラはどういう経緯でワンダーリリースから出すことになったの?それ聞いたことない。
与田あーぁ・・前妻が小川くんの同級生でさぁ。
沖野そうなの??
与田で彼女が俺に友達がすごい良いバンドやってるって教えてくれて。それが93年くらい。
小川ラフ・トレードとかにテープ卸したりしてたの。でアメリカではもう出すことになってたからじゃあ日本盤出そうって。で、7インチネットワークみたいのにハマってたの。その7インチに載ってる住所にデモテープ送りつけてたから。
沖野今の若者と同じじゃん。
与田全く一緒だよ。
小川で、日本はこんな音楽性じゃナゴムとかにならないと無理なんでしょ?って言う時代だったから
与田(笑)
小川でもわかってくれる人いるんだって。だからドイツから出したりとかアメリカから出したりとか色々。そのころって日本じゃメルトバナナとか少年ナイフとかしかあっちに行ってない時代。でこんなことできるんだっていう驚きとDATに録って送ったら7インチが送られてくるっていう。
沖野でもまだインターネットない時代じゃない?
与田郵便、郵便。
小川ちなっちゃんが英文で30箇所位にガーッ送ったら4、5箇所からいいね!ってくるのよ。出そうよって。それそれ。
与田だから『Hiding Place』は日本盤なんだよね。オリジナルはボストンのPop Narcoticってレーベル。
小川で、オキシュンはだからアレだよ、俺はもう大学生の時に慶応の学祭でSecret Goldfishとヴィナペみたいな。
与田慶応はやってない。早稲田じゃない?明治?
沖野立教じゃない?
小川早稲田かな。でオキシュンがタートルネックの襟を口まで折り曲げて、ヤル気のなーい感じのMCとかしてて(笑)なんかカッコいいなっつって。
一同(笑)
小川洋楽好きだったし、こういうバンドがいるんだって。無かったでしょ?他はキャプテン・レコードしかなかった。(笑)
与田そうね、宝島のね。
沖野あとはイカ天。
小川フリッパーズとかもいたけど。
沖野ギターはいつから始めたの?
小川中3?
沖野それは何きっかけ?
与田あ、その話最高なんだよ。
小川え?どれだろ?あ、そうだよ、中学から違う地区に転向したのね。都会の藤沢から田舎の藤沢へ。
沖野与田さんと一緒なんだ。
小川だから友達が全然いないし。で、先生がアマチュア無線部の顧問で。嫌いじゃなかったから入ったら先輩が洋楽かけるタイプのとこだったのね、部室で。そしたらABCの「Look Of Love」でガビーンってなって(笑)
沖野その前は歌謡曲とか聴いてた?
小川小4でYMOの「ライディーン」とかは買って聴いてた。「増殖」とか流行ってたし。その後「Look Of Love」なの、要は。で、お姉ちゃんがオフコースとか聴いてたから、ちょっと・・したこともない恋愛を想像してなんかときめくみたいな。(笑)切ない感じとかのファーストタッチはたぶんオフコースなんだろうなって。
沖野いや、だから(笑) ロック全然通ってないんだよね?ロックの人じゃないね。
小川先輩たちはロック通ってるんだけど・・自分は全く無いんだよ。
沖野いわゆるBeatles知らないパターンの人じゃん?音楽始めるキッカケがBeatles、Stones、Whoとかじゃないパターン。で、パンクでもない。
小川そうそうそう。例えばウチは車乗ってても無音なわけ。
一同(笑)
小川ウチの文化としては、小川家は聴かないの。だから俺はその先輩の「Look Of Love」で「ウッっ!」ってなって。そのころ厚木に黎紅堂(れいこうどう)っていう貸しレコード屋が出来て、もう黎紅堂とFENがあれば天国なわけじゃん?チャートに入ってるやつをチャリンコで5キロかけて借りに行ってた。
沖野いわゆるニューロマ(ニュー・ロマンティック)好きだったってこと?80’sのダンスミュージック。
小川そうそう、ダンスだとも思ってなかったけど。今思えばそう。独り洋楽野郎。
沖野でもアレ聴いてギター始めないよね?普通。ClashとかJamならわかるけど。
小川Clashとか聴けるような環境じゃなかったんだよね。ABC聴いて、で、結局カジャグーグーが1番好きだった。
一同(笑)
小川中2で渋公とか独りで行ってて。相当入れ込んでたよ。そのトップ100みたいなチャートのコピーが10円で買えるのね、黎紅堂行くと。それ見て。いわゆるお兄ちゃんに教えてもらうようなClashとかの道は全然なくて。でも自力でSmithとエコバニぐらいまではいくわけ、ラジオ関東の全英トップ40聴いて。
与田そうそう、大貫憲章のね。
沖野じゃあロックンロールの衝動みたいのはないのね。
小川そうね。でもそのあとやっぱギターだからラウドネスとかいくんだよ。
沖野そっか、あとシューゲイズは?90年代の。
小川当時はPale SaintsとかRide。Happy Mondaysとかはちょっと明るすぎてやだなって思ってたの。
与田小川くん、Stone Rosesがないもんね。
小川あるよあるよ!もう基本、あれは好きだよ。
沖野60年代がないんだよね?
小川うん、そっちから通ってない。
沖野小川くん何歳だっけ?
小川45。
沖野俺と3つしか変わんないんだ。
与田いや、ここの3、4年の違いはデカイんだよ。
沖野世代的には小山田くんとかと同じだけど、Cherry Redだネオアコだなんだ っていう感じでもないんだ。
小川ないない。
与田神奈川県民はそうなれないんだよ。
小川トップ100は全部把握してる、っていう。
沖野でもそこでZZ Topとかにはいかなかった?
小川いかないよねぇ。いかないでしょ?
一同(笑)
沖野まぁ冗談だけど、いく人はいくわけだし。メタルは?
小川だからギターだから、みんなラウドネスを弾くんですよ。ラウドネスとアースシェーカーとアクション。みんなヤングギター(雑誌)買って「お前ぞうさんマークか、ライオンマーク弾けるか?」みたいな。(笑)
沖野俺、一切通ってないのよ。中学でミック・ジョーンズ(Clash)いっちゃったから。
与田沖野くん早いんだよー。
沖野早くないよー、普通。ハードロックも一切いかなかった。
与田そうね、入り口が60年代とか同時代で言えばClashやJamだからね。もうそこで美学が完成されるからハードロックありえないわけ。
沖野ありえなーい。
小川Clashって全然しらないもん。なんなの?パンクって?みたいな感じで。
沖野えー? でもニューロマいったら近いっちゃ近いっていうか、UKっていう括りでいくと。
与田いやー、やっぱポップスなんだよ。だからエコバニが引っ掛かったのもオーシャン・レインなんだよ。
小川そう!オーシャン・レインなんだよ。キリング・ムーン以降。
沖野なるほどね。
与田でも俺達はクロコダイルズから聴いてるじゃん?その違いだよ。
沖野っていうかね、俺はダンスがわからなかったんだよね。中学ぐらいの時は。
与田・小川わかんないよ、そりゃ!
沖野高校になって歌舞伎町のディスコに行くようになって意識するようになって。踊るとか。
小川そんな発想なかったもん。
与田それは俺もなかった。振り返ってみれば あ、これダンスビートだったんだなって。
沖野そうなのか。しかしこれどうまとめよう?与田さんってギターポップのイベント行ってたイメージ無いけどどうだったっけ?
与田いやいや、自分でやってたよ。”Wonder Release Night”もやってたし
沖野あーそっかそっか。
与田ワンダーリリース以前にも代々木チョコレートシティーで小さいイベントやってた。DJ、オーガナイザーで。SmithもClashもJ& MCもかけてたよ。だから808 StatesがPaul Oakenfoldと一緒にクアトロに来てマンチェスター・ナイトをやったのが90年暮れぐらい、それ行ってクアトロの出口でフライヤー撒いて。そういうのやってたよ。だからVenus Peterとかにも速攻反応できた。
沖野ヴィナペの前なのか。
与田前だよ前!
小川そんな話はじめて聞いた。ちゃんと庇があるんだね。大学からの流れか。
沖野何故まず自分でイベントやるようになったの?普通ノウハウないじゃん?
与田俺大学時代から、ロックバーに踊りに行ってたのよ。もちろん下北のZooも行ってたよ。「Love Parade」がスタートする前にクラブ・サイキックスっていうニューウエイブのイベントが有ってよく行ってたし。阿佐ヶ谷にリッキーっていうロック・バーがあって、大学の時だから86、7年か。毎週入り浸ってて自分たちで始めたのが88年くらい。89年にUKプロジェクトに入って、Que(下北沢のライブハウス)が出来てからはワンダーリリース・ナイトを定期的に。だけど、それはロックのイベントだから。もちろん踊るために「ロック・ザ・カスバ」も「Town Called Marice」もかけるけどチャーミングマンで盛り上がったって言っても95年以降のハルシノゲンの「LSD」で踊るのとはわけが違うわけよ。
小川そりゃそうだ。
与田 小川くんとはちょっとラインが違うけど単なる洋楽好き。でそういうのをクラブ・イベントとしてやってた。
沖野でも与田さんはちゃんと邦楽も好きで通ってるじゃん?オフコース好きじゃん?
小川(笑)
与田それは小川くんと一緒よ。小学生の時、オフコースの初めの武道館に申し込んだからね、はがきで。
沖野(笑)
小川アレは今でも色あせないものがあるよ。
与田ニューミュージックが好きだったの。でもさぁ小4だよ。だから沖野くんの話を聞いて小学生でBeatlesは早いって思って。
沖野中1だよ。Beatlesは。
与田でしょ?中1は早いよね。
小川うん、いないいない。しかも時代的にもBeatlesどうなの?って感じだったでしょ?
与田まぁ沖野くんが西城秀樹聴いてた時に俺はオフコース聴いてたってだけの話。
沖野俺は原田真二だよ。
小川あ、原田真二もすごい。で、結局踊りに行ったあとチルアウトで聴いても良かったていう話じゃん?オフコースって。
与田それなんだよね。
小川オフコースは全然ありなんだよー、それがすごくて!10ccなんじゃねぇの?って。
与田最後の2枚は洒落になんないね、あのレベル。
小川(笑)しゃれになんないくらいすごい。
与田実際ロスで録音してるし。
沖野ふーん、二人は共通してるとこすごいあるよね。なんかね。
与田まぁ地元一緒だし。メンタリティーが近い。
小川それはある。湘南ノリね。
沖野俺はオフコースってだけでもう冷めちゃう。
与田だって騙せないじゃん?自分に嘘言ってもしょうがない。
沖野それはそう。やっぱ当時ほんとに良い!って思ったからだよね。俺もチルアウトで原田真二聴いたら同じだと思うよ。
与田いや、シャドーボクサーとかほんとすごいよー。
小川突出してるよね、このセンス。
沖野でもとにかくオフコースは無い。ない!
与田ひとそれぞれでいいじゃんー。
小川いや、帰って聴いたほうがいい。オフコース。
与田でもオフコースもチューリップもその後クラッシュに出会って全部ひっくり返ったけどね。で、スミスが出てきてローゼズまで繋がってその後はもうパーティーにはまるじゃない?95、6年位はロック全く聴いてないもん。当時はもうゴアトランスしか聴かない、ダンスミュージックしか聴かないぐらいの気持ちになっちゃってたから。
沖野今聴くとどうなの?(笑)ゴアトラとか。
与田良いのは良いよ。ハルシノゲンの「LSD」とかホントすごいよ。今聴いても。
沖野Juno Reactorとかは?
与田ジュノも曲によっては聴ける。だけどTTT(Tokyo Techno Tribe)は聴けない。
一同(笑)
小川あれは異質。
与田わらっちゃう。スーパーGとか大爆笑。でも当時のパーティー経験では、逆にニール・ヤングやピンク・フロイドがあまりに凄すぎて!みたいな事になっていったのが良かったと思ってる。
沖野俺はそれがBrian Wilson(Beach Boys)だったりするんだけどね。
小川・与田あーそうね。そうだと思う。
沖野当時一番マインドに作用したロックって何?
与田俺はピンク・フロイドかな。『狂気』(Darkside Of The Moon)
沖野俺、プログレがずっとダメなんだよね。
与田俺だってピンク・フロイドなんて一生聴くか って思ってたんだよ。あそこは別のカルチャーだと思ってた。
小川『狂気』は最近聞いてもやっぱすごかった。
与田『狂気』のB面、ほんとすごいよ。とにかくありとあらゆる音楽チェックしたよね。
で、アンダーワールドとカーペンターズを同列に聴いてたじゃない?
小川・沖野そうだよね。
与田イメージで聴いちゃイカン て事になってクリムゾンやイエスも聴いたけど全然ダメ。ピンク・フロイドが特別過ぎ。
沖野なんかヴォーカルがダメなんだよね。暑苦しいというか、だったら「Drugs Don’t Work」とかさぁ The Verveの。どっちかっていうとああいう方がね。印象に残ってる。
小川あれはすごかった。
与田確かに俺だって「Urban Hymns」と「狂気」どっちか選べって言われたらそりゃ、一日悩むね。でそこに「OK Computer」入れられたら一週間悩むな。
小川OKコンピューターは最近また聴いたけど、今聴くとまたすごいよ。
沖野Radioheadはもちろん好きなんだけど、あんまり感情移入できないんだよね、ピンク・フロイドに近い感じ。なんだろ?どっちも突っ込みどころがなくてかわいくない。
一同(笑)