沖野俊太郎 インタビュー
Shuntaro Okino Interview

沖野俊太郎がソロとしては15年振りとなるアルバムを発売する。彼はヴィーナス・ペーターのボーカルとしてデビューしてから25年、これまでインディアン・ロープ、オーシャンそしてソロと様々なスタイルで時代ごとに数々の名曲を作ってきた。しかし残念なことにそれが多くの人に届いたとは言い難い。そこには本人の未熟さや、彼自身が抱えた問題による周囲との齟齬だけでなく、様々な誤解や行き違いも含め多くの理由があっただろう。そういう僕自身も何度か彼ときついやりとりをしたことがある。
今回こうしてインタビューというかたちで彼と話すことになったのは、僕がいまライブハウスを中心に活動している20代のバンドやレーベルなどをやっている若者たちと知り合ったことが大きなきっかけとなっている。
その姿はかつての自分たち、つまり1991年にワンダー・リリースを始めた頃の自分であったり、『ラブマリーン』を出した頃のヴィーナス・ペーターのような若者たちだった。
なかでも栃木を中心に活動しているCAR10がヴィーナス・ペーターに大きく反応してくれたことで、ひさしぶりに沖野くんに連絡をとることになった。その時にアルバムをレコーディングしていることを聞き、スタジオに彼を訪ねた。そこで聴くことができたほんの数曲から、これまでとは違う感触があった、と同時に彼の表情からもなにか変化があったことを感じることができた。
その後完成したアルバムを聴くことではっきりと彼自身がなにかを乗り越えたように思えた。

このインタビューはレーベル「インディアン・サマー」からの依頼で実現したものだが、いちファンとして話を聞くつもりが古くからの友人として、まるで対談のようなものになってしまった。その点はご容赦願いたい、その代わりに普通のインタビューでは聞くことのできないリアルな発言で構成されているはずだ。実際にはこの倍ぐらいの会話があったのだけれどそれはまた別の機会に。

与田太郎
https://twitter.com/YODATARO
https://www.facebook.com/taro.yoda.3

俺、本当はすごくポジティブな人間なの。実は。子供の頃から。まっすぐだったし。そんなイメージないんだけど。パブリックイメージ、それは色々屈折しちゃった事があって、そういう風にしか出来なかった。って感じなんだよ。だからやっと最近、本来の自分でいられるとは思ってる。

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与田(以下Y)
最近20代でバンドやレーベルやってる子達とよく話すんだけど、みんなよく音楽掘ってるんだよ。なんかここ10年ぐらい10代や20代が洋楽聴かないイメージあったし。実際本当にJ・POPとの落差も大きかったし。
沖野(以下O)
90年代ぐらいのものを聴いてるの?
Y
80年代ぐらいから90年代だね。
O
マンチェとかも?
Y
ローゼズはみんな好きだけど、マンデーズの『ならず者』とかはいきなり聴いても意味わんかんないんじゃないかな。
O
そう?
Y
今の子たちはね。ストーンローゼスはOKだけど。
この沖野くんのアルバムは、そういう意味でいいタイミングでリリースになるんじゃないかなって思う。若い人達がまた自分で音楽探しはじめてるし。
今回のアルバム良かったです。じっくり聴いておもったのが、沖野くんのキャリアで初めてポジティブさが前面に出てるアルバムだと。とての伸びやかだし、リラックスしているようにも聴こえた。
何か自分の中で変わった?
O
そうだね、まあやっぱりオレがものすごい変わったんだよね。
Y
開けっぴろげと言っていいくらい、ポジティブな感じだった。しかもアルバム全体でね。っていうのはヴィーナス・ペーターも含めあんまりなかったよね。ほとんどなかったね。まして今まではちょっとした欠落とか喪失感が常にどっかに漂ってて。良い曲多いんだけど、何かが失われた感じがテーマになってたような気がするんだけど。もしくは届かない感じと言うか。今回はそういう印象はまったくなかった。
まずはそのあたりの理由みたいなものを聞かせて欲しいんだけど。

20年前の与田&沖野。DJイベントにて。

O
…こうやって改まって、、ってなると。そこまでそういう風にポジティブな感じって言われたの初めてだから。今回。
Y
そう?
O
まだ初インタビューみたいなもんだから。そういうつもりも無かったけど自然にそうなってるのかも。
Y
そうだね。しかも無理矢理な感じはない。勿論ヴィーナス・ペーターから長く沖野くんの音楽を聴いてる人たちは確実に思うじゃないかな、オレと同じような事を。それがなんなのか、まずは聞いてみたい。
O
むずかしいな。どこまで話すべきなのかってのがあるじゃない。 やっぱりこの15年すごいいろんな事あったから。 ホントそれが、、、なんて言ったらい良いか、、、うまく説明出来ないけどね。
Y
でも作ってて楽しかったんじゃない?そういう感じがすごい伝わってきた。
O
一番大きいのが、ここ2年ぐらいでやっと最近普通に暮らせるようになったというか。それまではやっぱり常にいろいろ問題があって、ずっと。もうヴィーナス・ペーターの時からずーっと常に満たされないというか、常に。 半分楽しいけど半分辛いみたいな、ずっと人生だったから。
Y
悩みが途切れる事が無い?
O
なかった。常に。
Y
今回、沖野俊太郎っていう名義で出そうと思ったのはなにか理由がある?
O
いやいや何にも無い。だって沖野俊太郎でしかないじゃん。
Y
例えばユニット名義みたいな選択肢もあったと思うけど?
O
だからそういう事なんにも考えなかったというか、必要ないというか。そこに関しては、どうしますって言われたから、沖野俊太郎で良いですって。そこに別に意味は無いというか。
Y
今までの流れをいちファンとして聴いてると全体の流れを知ってるから深読みしちゃうんだよね。ついに、、、ついにってわけではないか、一度出してるか。でもここで自分の名前で出るっていう事は何かふっきれたのかな、理由があるのかなって思うんだけど、ごく自然に出てきた?
O
でもアニメも大きかったよ、2003年の『ラスト・エグザイル』と2005年の『ガンxソード』、あれは” Shuntaro Okino “で出してるから。あれが割と浸透してるっていうのももちろんで。ヴィーナス・ペーター以外のところで。
Y
そうか、アニメは本当に強いからね。全然音楽聴かない人が、すごい良かったですとかいっぱいあったでしょ?
O
あとは外国でけっこう、外国人からすごい。
Y
主題歌そのまま使われてるんだ?
O
沖野俊太郎 Facebookページの「いいね!」の半分以上が外国人。あっちの人は良ければアプローチしてくるじゃん?日本だとこの人誰だろう?ってなるけど。
Y
それおもしろいね。
O
まあ、あれがあったからなんとなく今でもやれてるのかなと思ってる。
Y
そ 2003年?
O
2003年と2005年。アニメは2回テーマ・ソングをやらせてもらって。それでも10年以上たってる。再結成したのが2005年で、『クリスタルライズド』が2007年だもんね。あれから10年近くたつのかー。
Y
そう、そうなんだよ。クリスタルライズドからは10年近い。そうだよね。なるほどね。じゃあ多分そんなにこのアルバムの構成も意識して作ってないかも知れないんだけど、俺が聴いた時、まず「サンデー・モーニング」から始まるじゃない?それから、間に例えば「ロック・ザ・カスバ」的なテイストとか、初期のデヴィッド・ボウイや、もちろんビートルズ、あとヴィーナス・ペーターっぽさも含め、沖野君が聴いてきた音楽の歴史のエッセンスがいろんな所にでてくるじゃない?それも別に意識してやったわけじゃない?
O
なにも意識してない。この15年間こつこつやってた作業、それが何十曲もある。
Y
まだ氷山の一角?
O
そうそう、そうなんだよ。今回アルバム作れることになったから、その中から選んでミックスしてもらったり、自分でもう一回ちょっと、とか。アルバムとしてまとまるかなみたいな感じで選んだだけだから。
Y
俺は沖野くんとまったく同い年生まれで世代も一緒だし、多分聴いてきたたものが同じだから。67年に生まれて、ぎりぎりクラッシュ、ジャムが現役のところに滑り込んでからロックンロール・ライフが始まるじゃない。
高校生くらいでもうドアーズとかヴェルヴェット・アンダーグラウンドとかチェックしてきいたりするでしょ。それからローゼスがやってきてプライマルがやってきてみたいな流れがまったく一緒だから、感慨深いんだよね。
だから自分にとっての原点は多分パンクの後半だし、ほんとにいつも振り返ってしまうのは60年代の音楽だったりするんだけど。
それからリアルタイムで追っかけてきたものや聴いてきたもの、それがロックだけじゃなくてダンスビートも含め、他人事とは思えない。
O
それはすごくうれしい言葉というか。
Y
自分の中で衝撃受けた順序みたいなものを、どういう音楽にどう出会って来たかを聞かせてもらえると。
O
俺は小学生のときは歌謡曲で、原田真二に夢中で。それで中1でビートルズ。
Y
ビートルズが中1なんだ。
O
けっこう遅いんだよ。
Y
いや、早くない?
O
早い?いやいや。早い子は兄貴が聴いてたとかさ。 中1ですぐバンド初めて、ビートルズ、ストーンズ、平行してジャム、クラッシュ、ピストルズってなっちゃう。クラッシュが一番好きだったかな。ミック・ジョーンズの感じが特に好きだった。高校はもうその継続だよね。ずっと。だから俺あんまり追求しないというか、それが自然だと思ってた。
与田さんはどうやって情報集めてた?
Y
はじめはラジオ。サウンドストリート、それからロッキンオンでしょ。でも高校に入ったら新宿の輸入盤ショップに行ってた、だからちょうどスミスがデビューした時に「ディス・チャーミング・マン」がUKエジソン*の壁一面にならんでて、これなんだろうって。
O
あのへんいってたんだ。俺はね、池袋の西武の輸入盤屋しか知らなくて。えーと、なんだっけ、ディスクインじゃなくて、ディスクポート!せいぜい池袋までしか行かなかった。
Y
新宿まで行かなかったんだ?
O
いや、知らなかったから。その西口とかあの辺のレコード屋。
Y
そうか、雑誌読んでなかったって事?
O
そう、読まなかった。俺あんまり今もだけど、いわゆるオタク気質がないのよ。だって十分満足しちゃってたから。ビートルズとかクラッシュとかで。雑誌に関しては音楽雑誌よりオリーブとかマーガレットとか読んでた。
Y
そうか、だとすると高校生の時、普通に洋楽好きはバニーメンとかU2、スミスやアズテック・カメラとか、まあニューオーダーやデペッシュ・モードとか新しいバンドはそんなに聴かなかった?
O
そういうのは無いんだよ。
Y
ニューウェーブは聴いてないんだ?
O
そっち系っていったらボッパーズMTV、テレビとかで。雑誌読んでないから高校の時とかバニーメンとか聴いてないもん。
Y
そうなんだ。
O
うん。クラッシュと、あとニューロマ。MTV世代というか、ああいうのを普通にすきで。でもやっぱりイギリス系が好きだったけど。
そういうポップさもあるんじゃないのかなと思ってる、自分のなかで。
Y
なるほど、言われてみればそうだね。
O
普通よりちょっと音楽詳しいくらいの子だったからもうね、自分が作り出しちゃったから。中1からすぐ。割と、今もそうだけど聴くより作ったりする方が好きなんだよね。って今となっては思うけど。オリジナル曲をもう中学からやってたから。そっちに夢中だった。もちろん聴いてたけどね、すごい。同じレコードをひたすら聴いてたよね。
Y
それはおれもそうだよね。だってレコード高かったから。貸しレコードとかにろくなもん無かった、自分の聴きたいものそんな無かったし。

velludoの頃。小山田くんのマンションにて。

O
だから小山田くんの影響がやっぱ大きい。彼と出会ってクリエイションとかチェリーレッドとかね、いわゆるUKインディーズを知ったんだよね。
Y
小山田くんと初めてあったのは?
O
19の時かな。ニューヨーク行く前だから、86か7年。さすがにバニーメンとかは聴いてたけどね、高校出るくらい、文化服装時代にちょっと。でもせいぜいエヴリシング・バット・ザ・ガールとか、バニーメンとか。キュアーは知らなかった。
Y
そう、意外だねー。だけど情報源があんまり無いのに、一応はバッドザガールとかバニーメンにたどり着いてるのは?
O
彼女にねー、年上の彼女がいて、その子がディペッシュとか好きで。それでカセットもらって。その人はバニーメンとかアート・オブ・ノイズとか好きだった。
たしか準ミス文化だったかな?すごい美人でね。でもその娘にフラれて文化も辞めちゃったんだけど。笑
で、その頃はShout っていうモッズバンドもやっててやっぱり60年代ものばっかり聞いてた。
Y
なるほど、もう少しルーツを辿ってみたい。俺たちの世代って60年代に対する憧れそうとう強いじゃない?
O
うんうん、つよい。
Y
それは俺もそうなんだけど。実際に現場を知る事ができなかったから、想像力でたどり着こうとするんだけど。60年代のロックって全部良いから、やっぱはまっちゃうよね。
O
うん。結局70年代の音楽にはあんまりハマんなかったけどね。与田さんってニール・ヤングとかすごい好きでしょ?俺も好きだけど、それほど。
Y
わかる。沖野くんが作る70年代の音楽っぽい曲って、例えば『セカンドカミング』を聴いての感じとか、スピリチュアライズドを聴いてみたいなものを感じるんだよね。ストレートに70年代の音楽ではなく。
O
そうかもね。
Y
だから自分にとってオンタイムのものを聴いてきて、結果それが70年代っぽさにはなってるけど根本は60年代だよね。
O
だからね、最近改めてつくづく思うのは楽器を演奏することにあまり興味が無いというか。人によっては音楽って演奏するのが楽しみじゃない、プレイ。
そういうのにあんまり興味がない。70年代ってけっこうそういう時代じゃん?テクニカルなギターソロとか、ああいうのが苦手なんだよね。
Y
確かに。そっか、むしろ作曲なんだね。
O
作曲というか、3分くらいのポップソングが基本的にすごく好きで。サイケデリックで長い曲とかもまぁ好きなんだけど。ローゼズくらい?演奏もすごい好きなのは。
ローゼズは例えばジョン・スクワイヤーがギターソロ弾きまくっててもイヤじゃない、絶妙なセンス。
Y
あの時代のストーン・ローゼズでもプライマル・スクリームもそうだけど、多分彼等が目指したのは60年代の雰囲気だと思うんだよ。それを自分達なりにやりたかったというか。もちろんその前にパンクも当然あったんだけど。それで自分達でやればいいじゃんってマインドを受け継いでトライしたのが、実際自分達の生まれる前の、もしくは生まれた頃の、イギリスが最も輝いてた時代の音楽をやりたかったんだと思うんだよね。
高校時代くらいまで、そんなに熱心に追っかけた訳じゃなくてその後プライマル・スクリームやストーン・ローゼズに出会ってしまった瞬間っていうのは?
O
海外だよね。ニューヨークでいつもイギリス系の音楽流れてるラジオ聴いてて、ローゼズの「シー・バングス・ザ・ドラム」に衝撃うけて。すぐCD買いに行ってアルバム丸ごとこれは最高だって!思って。
Y
その後ロンドンにいったんだ?ロンドンに移ったのは90年?まだ89年?
O
89年。
Y
そっか。じゃあフールズゴールドが出るちょい前くらい?
O
まだ出てなかった。
Y
俺が初めてロンドンに行ったのが、89年の12月フールズゴールドが出たばっかりで。
O
あ、そう。じゃあ俺のいた頃かな?
Y
その当時ライブとか見に行ってた?
O
行ってた行ってた。ローゼズももちろん見たし。
Y
イギリスでストーン・ローゼズ見たんだ!
O
見てるよ。
Y
場所は?
O
それがさ、なんかとにかくすごい遠くまで行ったんだよ、島みたいな。それがどこだったかわからないんだよね。
Y
えっ?スパイク・アイランドじゃないよね?
O
スパイク・アイランドなのか覚えてない、わかんないんだよそれが。
Y
その時他にでてたバンド覚えてない?
O
いや、ローゼスしか見てない。あっちにネイティブな友達とかいなかったから、全部さぐりさぐりだったから。
Y
インターネットなかったしね。
O
そう、誰もまだ周りの日本人は知らなくて。
Y
そうだよね。89年でもロンドンではそんなに知られてなかったらしいね。
O
でもみんなスカリーズの格好しだしてて、えーこれどこで買えんのかなって。ちょっとダサいというか、、わかんなかったんだよね。
Y
でっかい場所だった?ライブ会場?
O
とにかくすごい広い所だった。
Y
屋根のある会場?
O
屋根はあった。
Y
じゃあ、それブラックプールじゃないかな?
O
ブラックプールだよね、多分、今思えば。野外じゃないし。
Y
多分その時のライブが評判になってようやく、イギリスの南部というかそっちの方もストーンローゼスがすごいって話になって。
とにかく遠くまで行った、ローゼス見に。他にはどんなバンド見た?
O
マイブラも見てたし、その時期はめちゃめちゃ見てた。カムデンのちっちゃいクラブにいつも見に行ってて、NMEチェックして見ていってた、単純に。
Y
マイブラはまだ『イズント・エニシング』だもんね。
O
マイブラはニューヨークにいる頃に、30人くらいで、あ、てかハッピー・マンデーズ見てるし、ニューヨークで。
そうだ、まずはニューヨークで見てんだよ。
Y
ニューヨークの会場はどこ?
O
CBGB。
Y
CBGBでやってたの?
O
CBGBでマンデーズ見てこれまた衝撃うけて。マイブラは会場忘れたけど30人くらいしかいなかった、客。
Y
ほんと?ロンドンでは?
O
ロンドンではギター・ポップのバンドをちっちゃいとこで見てた。
Y
そういうシーンが膨らんだ時期だ。で日本に帰って来るのは90年?翌年?
O
うん。いつ頃かな、半年しかロンドンいなかったからね。

venus peter初期。

Y
じゃあ夏くらいには戻ってきて、んでヴィーナス・ペーターが始まるんだよね、90年暮れくらい?
O
うん、すぐ。連絡来て。
Y
そっから先は俺も良く知ってる。今までの自分のリリースしてきたアルバムの中で、ヴィーナス・ペーターも含め、自分の中で気に入ってるものってあったりする?
O
いや、いつも後から、うーんあそこが、ってなるんだけど。やっぱ今となっては全部好きだよ。まあソロの『ホールド・スティル・キープ・ゴーイング』とかはちょっと…。
Y
ヴィーナス・ペーターが解散して試行錯誤した時代だよね。
O
そうそう。大分勘違いしてたよ。若いときの恥ずかしい部分というか。
Y
だから今回のアルバムの中には素直に自分がこういうものが好きです、こういう事ががやりたいんだっていうのがちゃんと並んでる感じだよね。そういう意味では完成度が高い。
O
完璧に自分独りでやってたから。レコード会社にいると、色んな人が入ってくるじゃない。その人達のどっかで期待にちょっと応えたいとかさ、やっぱなんとなくあんのよ、結局あの曲良いねーとか言われると。今回は自分で自主で出すつもりで作ってたから。自主というか完成したらどっかのレーベルに持っていこうとは思ってたけど。とにかくまず自分で終わらせようと。
それがなかなか、締切がないから、それでこんな時間たっちゃって。
Y
今回歌詞は曲と同時にできてる感じ?
O
いや全然。歌詞が全部だいたい新しいというか、曲はもう10年以上前の曲とかもあるし。詞はここ5年くらい。5年はないな、3、4年くらいの間。
Y
じゃあ一番最後にできてきてる?
O
そう。
Y
例えば1曲目の声はパワーとかの歌詞でも2、3年前にできてるんだ?
O
あれはもう2年くらいたってるかな。
Y
なんかもっと最近できたのと思ってた。すごく当たり前のことが素晴らしいんだっていうような歌詞が沖野くんの中に今までなかったし。大人になったのかな?
O
そうだね。簡単に言えば。でもやっぱ、震災とかも大きいと思う。皆そうだと思うけど、あれ以降。アーティストとか表現する人は。
Y
震災の後は俺もほとんど3ヶ月くらいなんにも考えられない感じだったけど、沖野くんもそう?
O
おれは逆にすごい怒り狂ってたというか、なんていうんだろう。
Y
ひどい事がおきてるっていう感覚?
O
とは思ってて、今とは全然違うんだけど、当時。この3年でもすげーかわってるの俺の方向性も。あと自分に子供ができたってことが大きいとおもう。
Y
気持ちのありようというか?
O
そうだね。でも政治的な話はしたくない。別のやり方で伝えたいんだよね。そういうことはね。変わったけど歌詞は変えないで済んだ。あ、これは全然自分としても考え方としても問題無かったし。俺、本当はすごくポジティブな人間なの。実は。子供の頃から。まっすぐだったし。そんなイメージないんだけど。パブリックイメージ、それは色々屈折しちゃった事があって、そういう風にしか出来なかった。って感じなんだよ。だからやっと最近、本来の自分でいられるとは思ってる。
Y
そういう感覚はすごい伝わってきたけどね。何か一山超えた、っていう言い方がいいかわからないけど。
O
まあ散々痛い目にあって、色んな事で痛い目にあって反省したというか。反省もあるよ。
Y
ちょっと全体の流れに戻って、ヴィーナス・ペーターが始まって、でもホントに短かったじゃない?
実際、マッドチェスター、インディー・ダンスがイギリスで盛り上がったの1年くらいだから。
O
うん、短かった。

venus peter。love marineの頃。

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